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12月, 2005 のアーカイブ

番外編:の楽譜について ベーレンライター版 vs. ブライトコップ新版

 
Microsoft presents ロイヤルチェンバーオーケストラ<第九>演奏会の番外編として、ベートーヴェンの<第九>の楽譜に関する私自身の考察について書きたいと思います。
 
コンサート当日の来場者に配布されたプログラムには、シェフ堤俊作氏の書いた「♪ベートーヴェン第九交響曲の演奏に際して♪」と題したレポートが同封されていました。本来、私の曲目解説と一緒にプログラム本編に掲載予定だったのですが、堤氏の原稿が締め切りに間に合わず、別刷りとなりました。これは、指揮者の視点で語るベートーヴェンの楽譜に関する貴重な文章です。メトロノームのこと、ワインガルトナーの提言に関する意見、楽譜のことについての4ページにわたる読み物です。特に使用楽譜に関しては、今回使用したベーレンライター版に加えて、堤氏が従来使用していたマルケヴィッチ版、そして話題のブライトコップの旧版と2005年発行の新版の明確な比較がなされています。
 
堤氏自身、1225日のロイヤルチェンバーオーケストラは、ベーレンライター版を使用し、1227日の静岡交響楽団の<第九>公演では、ブライトコップ新版を使用していました。(静響との演奏会は、同版の日本初演となります。)なお、ロイヤルチェンバーオーケストラの<第九>公演では、私からのたっての希望を聞き入れてくださり、ベーレンライター版の使用となりましたが、本来シェフは、ブライトコップ旧版を基調とし、テンポ設定のみベーレンライター版を参照した独自解釈をほどこすつもりだったとか。この堤氏の貴重なレポートは、再校正後、MSNのロイヤルチェンバーオーケストラのホームページに掲載予定ですので是非ご期待ください。
 
今回の楽譜に関する考察において、私自身、従来から所有していた音楽之友社の古いミニチュア・スコア(記述はないですが、オイレンブルグ版だと思います。この版は、ブライトコップの旧版と近いはずです。)とベーレンライター版ミニチュアスコア(2,800円)に加えて、銀座のヤマハで、プライトコップ新版の指揮者用大型スコア(16,500円は高い・・・)を購入し、比較しました。
 
また参照したCDは数知れず。代表的なものとしては、フルトヴェングラー&バイロイト祝祭管弦楽団、トスカニーニ&BBC交響楽団、小澤誠爾&ニュー・フィルハーモニア管弦楽団、ヘルマン・シェルヘン&ルガーノ放送管弦楽団、朝比奈隆&大阪フィル(学研版)、ロジャー・ノリントン&ロンドン・クラシカル・プレーヤーズ、ディビッド・ジンマン&チューリッヒ・トーンハレ、飯守泰次郎&東京シティ・フィル、マルケヴィッチ&ラムルー管弦楽団、堤俊作&東京シティ・フィル、堤俊作&ロイヤルチェンバーオーケストラ(1996年録音)などなど。これらのCDは、演奏批評ではなく、あくまで楽譜考察における参考資料です。
 
また、私自身、チェロ奏者として過去数え切れないほど<第九>を演奏する機会に恵まれました。故渡邉暁雄先生の指揮で愛媛交響楽団では、飾らない引き締まったベートーヴェンを。プロ・オケ九州交響楽団にトラ(団員不足を補う客演)で、黒岩英臣氏と小泉和裕氏の指揮で、慣れているでしょうと、たった数時間のリハしかなくて。
 
前置きが長くなりましたが、楽章ごとに楽譜を分析し、最後に私なりの結論を述べたいと思います。
 
第一楽章:
Allegro ma non troppo, un poco maestosoは、どの版も♩=88です。80ではなく88であるところがミソで、不安を掻き立てます。16小節でルバートする往年の巨匠の演奏もありますが、楽譜には全く指定はありません。
 
練習番号B以降で、初めてベーレンライター版とブライトコップ版の違いが出てきます。ベーレンライター版とオイレンブルグ版では、f表記のみの部分でも、ブライトコップ新版では、sfとなっているところが複数個所あります。これは、このあとも随所に登場します。ベートーヴェンの時代、sffの違いは明確でなかったという説があります。つまり、強音を強調する意味であるという点でのみ共通しているということです。ドボルザークの時代になって、fsffpの違いが明確に奏法として表記されはじめたらしいです。(sfは、fから即音を抜く奏法。)しかし、148小節のアウフタクトからの弦Tuttiは、両版で全く逆にsffが付けられています。従来版ではf表記のみであったのが、ベーレンライター版は147小節アウフタクトのみsf、一方ブライトコップ新版は、全くその逆でアウフタクトはfのみで148小節から拍の頭にsfが付いています。だから何なのと言われると困るのですが・・・しかし、同じ音形の417小節アウフタクトでは、ベーレンライター版はsfにせずf表記なので、ベーレンライター版の中でも、何だかつじつまが合ってないように思えます
 
206小節1拍目ウラの八分音符のファゴット、チェロ、バスに、プライトコップ新版のみが敢えてsfを付記しています。ここは実際の演奏では、もちろんリズム上も強調すべき音符です。前述の随所にfsfに変更している点も含めて、プライトコップ新版では、かなり実演奏を意識して改訂していると考えてよいかもしれません。
 
326-327小節は注目です。3・4番ホルンは、ベーレンライター版とブライトコップ新版では音とリズムが全然違います。このブログで楽譜を添付できないので表現が難しいですが、ベーレンライター版では、第2ヴァイオリンとヴィオラ・セクションの動きと呼応した音をホルンに吹かせることになっています。1225日のロイヤルチェンバーの本番では、ここがどうだったか残念ながら覚えていません。同様の違いが、244小節の3・4番ホルンにも登場します。この音符の違いの理論がどこから来ているのか興味深いです。
 
513小節からppで中低弦が神秘的に刻む部分で、20029月、ロリン・マゼールがニューヨーク・フィルの音楽監督就任の記念コンサートで<第九>を指揮した際、チェロ・セクションの半分をコントラバスと同じ音形に変更していたのをはっきりと記憶しています。まあ、皆さんいろいろとやってますね。。。
 
第二楽章:
「苦悩からの脱出」と名付けたいスケルツォ。従来版を使っていた時代も、昔はいろいろと細工がありました。例えば、練習番号Cからの木管楽器の主題をホルン4本にも吹かせたり、276小節のヴァイオリンとヴィオラの音をオクターブ上げて弾かせたり、276小節頭のフルートのB音をオクターブ上げて吹かせたりと。演奏効果を高めるための時代の知恵だったんでしょうね。ワインガルトナーは、338小節からのホルンとトランペットも、四分音符ではなく木管の主題を吹かせて主題を強調しました。
 
楽譜による違いとして、練習番号K2小節前(352-353小節)のティンパニは、ブライトコップ新版がF音の四分音符のみで後は休符ですが、ベーレンライター版は弦セクションと同じリズムをF音のオクターブ跳躍で叩かせます。この違いは、聴いていて結構目立ちます。
 
さて、話題の中間部のPrestoですが、ここの解釈はやっかいです。私の持っている古い音楽之友社刊のスコアは、全音符=116と明確に記述されていますが、ブライトコップ新版はカッコ付きで二分音符=116、ベーレンライター版は指定なしです。新版もうしろの解説には、ドイツ語で全音符=116が正規であろうとの記述があるそうですが、ドイツ語が苦手で読みきれませんでした。堤氏の解釈は、12/27の静響のブライトコップ新版においても、全音符=116というもの。聴きなれた耳には、2倍のスピードで疾風のこどく聴こえますが、私もこの解釈が好き。フルベンをはじめとする往年の巨匠はもちろん、マルケヴィッチも古典的に二分音符=116で演奏しています。シェルヘンも、この時代としては斬新な早いテンポを踏襲しています。ピリオド奏法のロジャー・ノリントンにいたっては、中間部前のStringendoもあまりかけず、Prestoは二分音符=116より遅い、ふたつ振りのかみ締めるようなテンポ感。トスカニーニは、かなり全音符=116に結構近い解釈。そもそもテンポが引き締まった演奏の多い、トスカニーニとすれば自然の流れか。この全音符=116を最も忠実に再現しているのは、ディビッド・ジンマン。小走りで、ちょっと足が引っかかって転げそうになるような雰囲気はありますが。この中間部の解釈がベートーヴェン解釈の本質に通じるような気がします。
 
第三楽章:
Adagio molto cantabile、♩=60で、その後のAndante moderatoで、♩=63というのが、どの版でも共通した指定。朝比奈隆は、♩=34-40くらいのゆっくりしたテンポで、往年の巨匠は、楽譜指定と関係なくこのようなテンポが多かった。事実、私自身が演奏した全ての演奏も、楽譜指定の1.5倍くらい遅いテンポでした。この頃、てっきり楽譜が間違っていて何か私の知らない特別な指定が書いてあるんだろうと勝手に思い込んでいました。しかし、やはり楽譜は正しかったのです。何故、今迄の演奏が全てと言っていいほど、こんなに楽譜を無視して遅いテンポになっていたのか疑問です。
 
しかし、ベーレンライター版を採用したジンマンでさえ、かなり躊躇したテンポ設定となっており、指定よりやや遅い♩=58くらいではじまり、アンダンテで♩=60に上がる程度。堤氏も、12/25のロイヤルチェンバーでは、指定よりちょっと遅かったと振り返っていました。ヘルマン・シェンヘンは、聴きかえすと、♩=60に近い設定で演奏してたいるではありませんか。ただ彼の場合、奇人変人だったので、どこまで理解して振っているか不明ですが。飯守泰次郎は、ベーレンライター版と主張しながら、テンポは巨匠並みの遅さ。「祈り」を表現したこの楽章。正確に躊躇せず、♩=60の演奏を聴いてみたい・・・
 
第四楽章:
冒頭のPrsetroは、ひとつ振りと3つ振りと二通りあります。音楽之友社のスコアでは、付点二分音符=96と特殊です。これは、オイレンブルグ版のみ採用されているテンポであり、ここから、このスコアがオイレンブルグ版に準拠していると勝手に判断しました。この冒頭のPresto部分も昔は、トランペットに八分休止がある2小節からを音を補強する意味で、フルートと同じ旋律を吹かせるとかの細工もありましたね。
 
さて、チェロとコントラバスによるレシタティーボですが、ベーレンライター版にのみ、フランス語で「レシタティーボの正確を持ちながらインテンポで演奏する」との記述があります。音楽之友社のスコアにもあります。どうしても、歌舞伎の大見得のようになりがちなこの部分ですが、最近は、あっさりとテンポどおりに演奏することが多いようです。ベーレンライター版の特徴は、チェロとコントラバスの旋律において、14小節から15小節のB音のスラーがないことと、27小節第3音がA音ではなくG音に変更されている点。後者は、ディビッド・ジンマンもそう演奏しています。この解釈は、大変新鮮に聴こえます。
 
144小節のヴィオラとチェロの二分音符ふたつのスラーが点線になっているのは、ベーレンライターもプライトコップ新版も同じ。297小節の弦楽器のトリルは、従来版と違い、ベーレンライター版もブライトコップ新版もスラーがありません。
 
さて、問題の330小節。ブライトコップ旧版は、ティンパニのみffからpへのディミヌエンド。ブライトコップ新版では、コーラスを除くオケ全パートがffからpへのディミヌエンド。一方、ベーレンライター版は、コーラスもオケも全てffのまま。前号で私は、神への全身全霊の叫びとしてベーレンライター版のffを支持しましたが、いろいろ考えると、ブライトコップ新版のオケ全体でディミヌエンドという設定が適切ではないかと考えを改めました。その理由は、次のふたつです。
 
①ベーレンライター版のようにffでフェルマータで330小節を終了した場合、会場にAとF音の響きが残りすぎ、331小節からの行進曲(Marcia)を開始するのに間をあける必要がある。しかしフェルマータの次には休止はなく演奏が不自然になる。
 
②ベートーヴェンがこの曲の初演時、手書きでオケ全般をディミヌエンドするように指示し、手書きで楽譜に書き込んだ。その書き方が、ティンパニの行の直ぐ下に松葉記号を書いた。当時のスコアは、上段から弦楽器、管楽器、そして打楽器と併記されていた。現代は、ご存知のとおり、木管・金管・打楽器、そして下段に弦楽器という楽譜の並びである。つまり、ベートーヴェン本人が、オケ全体にディクレシェントを意味して、省略形で最下段に松葉記号を追加したつもりが、出版社が現代の楽器順に並べなおして印刷した際、ティンパニのみの指示と勘違いしたという説である。そうだとすると、ブライトコップ旧版をはじめとする従来版で、ティンパニのみffからpへのディクレシェントという記述が誤りであると理由がつく。
 
事実、堤氏は、12/25のロイヤルチェンバーでは、ベーレンライター版の指定どおりオケは全てffとしたため、331小節の行進曲に入るのに、生理的欲求としてのゲネラルパウゼがあったのは事実。12/27の静響とのプライトコップ新版で、堤氏はオケ全体をディミヌエンドしたことにより、安心して331小節からの行進曲に入れたと後日コメントしていた。
 
続くAllegro assai vivaceの行進曲(alla marcia)のテンポ設定も議論を呼ぶ部分です。前号にも書きましたが、ベートーヴェンは、付点四分音符=84と指定しなからも、初演時ひとつ振りで、あたかも、付点二分音符=84のように指揮したらしい。初演を聴いたベートーヴェンの甥っ子の手紙で明らかになったことです。そうだとすると、655小節からの二重フーガの付点二分音符=84との関連性が明確になるのは事実。この部分、ベーレンライター版のみ付点二分音符=84と既定しており、それ以外は、ブライトコップ新版でさえ、付点四分音符=84となっいています。このブライトコップ新版に関して、12/29に東京ニューシティ管弦楽団をプライトコップ新版にて東京初演を指揮する内藤彰氏は、同楽団のホームページで、一番大きな修正点として「中間部の行進曲のメトロノームテンポが、付点2分音符=84正しいと結論づけたこと」が、ブライトコップ新版の最も優位な点と上げていますが、あれっ、これ間違ってません???
 
655小節からのニ長調のダブル・フーガでは、昔ワインガルトナーが、トランペットの休符部分に音を追加して主題を強化したりもしてました。今は、さすがに原譜どおりの演奏が主流です。
 
851小節からの二分音符=132の指定では、ベーレンライター版は、Prsetoの表記ですが、ブライトコップ新版も他版もPrestissimo指定。メトロノーム設定は同じでも、音楽の雰囲気は若干変ります。916小節のMaestosoは、ベーレンライター版もブライトコップ旧・新版とも、♩=60ですが、ここを6つ振りで倍の遅さの♪=60のような演奏が多いです。これは、ワインガルトナーの提言がまかり通っていたからでしょう。920小節からのPrestissimoは、ブライトコップ新版にはメトロノーム指定がありませんが、ベーレンライター版には、全音符=88と記述されています。このテンポ指定は、第一楽章の♩=88と連鎖性が見えます。
 
 
以上の考察から、私の個人的結論は、ベーレンライター版を基調として、第一楽章はブライトコップ版の随所に登場するsf表記を尊重し、第四楽章330小節のフェルマータは、ブライトコップ新版のオケのみディミヌエンドする形式を原点とする。もちろん、第二楽章の中間部Prestoは、ベーレンライター版のとおり、全音符=116にする。加えて、オケの音のムラを排除するために、第二楽章では、邪道かもしれないが、練習番号G以降、何箇所かフルートと弦楽器を記譜よりオクターブ上げて演奏させる。これが、平井バージョンです。
 
大晦日の昼頃から書き始めて、気が付いたら、もう午後7時過ぎ。テレビでは、アシュケナージ指揮が指揮するN響のタイソウな<第九>が始まりました。
 
 
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Microsoft presents ロイヤルチェンバーオーケストラ 第九演奏会-その3

 
Microsoft presents ロイヤルチェンバーオーケストラ(以下RCO)<第九>演奏会レポートの第三回は、ベトーヴェン作曲交響曲第9番ニ短調作品125のコンサート本番についての感想です。
 
前号で書いたように、今回は、使用楽譜にこだわりました。新ベーレンライター版に準拠し、シェフ堤俊作氏のこだわりの快演。昨年の同オケ定期演奏会でのベートーヴェン交響曲第7番イ長調作品92で、古典派ベートーヴェン解釈に更に自信をつけた堤氏。同曲をRCOのヨーロッパ・ツアーのメイン・プログラムに据えたほどです。今回は、この延長線上で、より深くベートーヴェンの交響曲の古典的構造と、厳格なる色彩を巧みな棒でリードしていました。
 
それでは、「音楽の友」誌の演奏会批評風に、振り返ってみましょう。
 
第一楽章:

冒頭の6連符は、はやりのビリオド奏法にありがちな軽く霞のようなものではなく、はっきりとした刻みで、ベートーヴェンの心臓の鼓動が聴こえるよう。余計なpの弱音をあえて否定し、存在感のある不安の表現から始まった。テンポは、♩=88の指定より、ほんの少しだけゆったりと流れていく。101-102小節(369-370小節も同様)ffでは、2拍目にむけてディミニュエンドする古典奏法。300小節のトランペットとティンパニは、ブライトコップ版の8分音符ではなく、他の楽器と同じ16分音符で演奏することにより、ffへの高揚に結びつける。ゲネプロで、練習番号Qからのpでティンパニが主張しすぎ、バランスが気になったことをシェフ堤氏に伝えたところ、本番は見事に修正され、ホルンと木管が水面から浮かび上がる。490小節アウフタクトのffは、どのCDでも蔑ろにされがちだが、ここでは、大きくアラートされていた。コーダも、テヌートすることなくイン・テンポで、まだ第一楽章なんだとリマインドするかのごとく仕上げる。
 
第二楽章:

Molt vivaceで縦の線をそろえることに注力しすぎることより、弦楽器の弓が自然と飛び響くテンポ設定で音楽にリズムを創った堤氏。楽譜指定の全ての繰り返しを一切省かず演奏し、所要時間11分。ティンパニの輪郭を強調するのは、シェフの好みだったのかもしれない。個人的には、本皮のティンパニを使用してのすこし野暮ったさを出した響きか好きなのだが。
 
さて、注目のPresto。ブライトコップ旧版・新版とも、二分音符=116というテンポ表示だが、何故か、ベーレンライター版には指定なし。ここをシェフは、全音符=116という普段の2倍の速いテンポで、1小節ひとつ振り。これは、デビッド・ジンマンの新ベーレンライター版に基づくCD録音と同じ解釈。私もこのテンポ設定の方が、8小節前のStringendoからの流れを汲み、中間部を見事に際立たせると思う。当然オケは、このテンポだと演奏技術的に辛いだろうが、妥協を見せないシェフ。古い演奏に耳が慣れてしまっいてる方々は、何が起こったんだと面食らうかもしれない。事実、隣の席の家内(一応、音大卒のフルート奏者です。)は、椅子から転げ落ちそうになっていました。一旦、このテンポ設定に慣れてしまうと中毒のようになり、昔ながらの二分音符=116のふたつ振りが、ゴムの伸びたパンツみたいに思えるから不思議。
 
第三楽章:

Adagio、♩=60の指定よりやや遅い♩=56くらいだったろうか。それでも、往年の巨匠は、♩=30-40の中間くらいのテンポだったので、速く感じる。老人の歩みではなく、天国から降り注ぐ愛の光のような流れのある進行。ところで、どの楽譜を見ても、♩=60という指定なのに、それじゃこれまでの演奏は嘘っぱちか! これこそ、ワインガルトナーの弊害であろう。その後に続くAndante♩=63はほとんどテンポに変化はない。ブラームスなら、アダージョからアンダンテに変ると大きくテンポ設定を変えるべきだろうが、ここは、古典のベートーヴェンを貫く。98小節4拍目の弦楽器の3連符処理では、Retenutoもかけず、淡々と祈りの音楽を前へ進めるシェフの技が光った。
 
第四楽章:

4人の独唱も合唱も第一楽章から舞台に座っているのでそのまま、第四楽章に突入。有名なチェロとコントラバスのレシタティーボは、歌舞伎の見得きりでもおやじ演歌でもない、インテンポ。インテンポの中で、ベートーヴェンの苦悩を表現した低弦パートにブラボー。14-15小節のB音のスラーはなし。このスラーを切って演奏したCDは聴いたことがない。同様に27小節の第3音は、A音ではなくG音に変更。これは、新ベーレンライター版の注釈に記載されている音形。デビッド・ジンマンのCDは正にこれと同じです。Allegro assaiに入って、むやみに低弦のテーマをpで音量を落とすのではなく、しっかりとテーマの歩みを創る。どことなく朝比奈隆の芸風を思い出した。
 
4人の独唱は、バランスの点で納得できなかった。特に二人のイタリア歌手は、オペラのアリアのような歌い方で、私のイメージとは違った。テノールの榛葉氏は、本番前に堤氏の楽屋で、開演ギリギリまで、繰り返し堤氏の指導を受け、敢えてぶきっちょなベートーヴェンを投影しブラボー。終演後のお客様からの感想も、テノールを絶賛していた。合唱の東京ジングフェラインは新しい団体ながらよくまとまっていた。特に子音の発音も揃っており声量も安定しており満足した。
 
さて、諸版でいつも議論となる「Vor Gott」の絶叫の330小節のフェルマータであるが、ブライトコップ旧版が、ティンパニのみffからpへのディクレシェントなのに対し、同新版は、コーラス以外の全ての楽器が、ffからpへとディクレシェントと変更されている。それに対して、新ベーレーンライター版では、コーラスもオケも全てffのまま。この神に対する心からの叫びで、何もディクレシェントする必要はないのではないだろうという意見に賛成で、私は、新ベーレンライター版に1票を投じたい。このフェルマータの次の小節からMarciaが始まるわけだが、ここは、一呼吸あくのは生理的現象だと堤氏は語っていた。2週間前に聴いた金聖響さんの指揮では、間髪入れずにMarciaに突入。それも正しいだろうが、これでは、ホールにffの残響が残っているうちにppのファゴットの四分音符が始まり、聴き取れないという問題が出てくる。その点で、堤氏の"生理的欲求"という弁明は納得できるものであろう。
 
これに続く、Allegro assai vivaceMarciaであるが、これも様々な議論を呼ぶであろう。つまり、新ベーレンライター版のみ付点二分音符=84という指定であり、ブライトコップは新・旧版とも付点四分音符=84なのである。これはききちんとした論理武装していないと足元を救われる箇所。堤氏の選択は、迷わず前者であった。もともと、ベートーヴェンが初演した時、付点四分音符=84と楽譜に書いていたのは事実だろうが、初演本番で1つ振りで、まるで付点二分音符=84の如く指揮したという説である。それが事実だとすると、その後の二重フーガ(654小節)が付点二分音符=84である設定とつじつまが合うわけだ。シェフ堤氏は、この説を信じ、当然ひとつ振りで、生き生きしたマーチを再現したのであった。これにより、練習番号Kからのパッセージで、低弦は死に物狂いのテンポで八分音符を刻まなければならない。しかし、RCOは、平然とそれをやってのけた点はさすが。
 
いよいよ曲はコーダに差し掛かる。916小節からのMaestosoは、あくまで♩=60であり、ワインガルトナーがこれでは速過ぎるので♪=60が妥当と書いた論文に真っ向から反対意見を唱えた。それに続くPrestissimoは、他版ではテンポ指定がないが、堤氏は、第一楽章始まりの四分音符=88との関連性を重視し、全音符=88て締めくくる。
 
苦悩、祈り、そして歓喜の歌が、第一生命ホールいっぱいに響きわたったクリスマスの夜でした。
 
 
 
 
 

Microsoft presents ロイヤルチェンバーオーケストラ 第九演奏会-その2

 
さて、第二回の今回は、いよいよベートーヴェンの<第九>です。後程、ゆっくりご紹介しますが、この日の<第九>は、本当に素晴しかった。ベーレンライター版の楽譜にこだわりを見せ、シェフ堤俊作氏の芸術の頂点とてもいえるような演奏でした。オケも、前プロのヴェルディでは、少々戸惑いもありましたが、この<第九>では水を得た魚のように機敏に反応し、日本の<第九>演奏の歴史に残る名演と言ってよいと思います。
 
まずは、私がプログラムに書いた曲目解説をご紹介します。
 

「日本の年末の風物詩となった<第九>12月ともなると全国で数多くの<第九>コンサートが開催される。近年は、愛好家が合唱で参加するようなイベント的<第九>も人気があるようだ。主要プレイガイドでチケットを販売している関東地区の主要ホールだけでも、この12月に53回の<第九>コンサートが予定されている。欧米の年末でと言えば、「くるみ割り人形」のバレエ観劇か、ヘンデルの「メサイア」のコンサートが多いが、日本では、何故か<第九>なのである。日本人の肌によっぽど合っているのだろう。一説によると、欧米のオーケストラ団員が生涯かかって演奏する<第九>の回数を日本では、1年で演奏するとか。

海外では、<第九>は特別なものと考えられているようだ。フランコ独裁政権に反対し続けたスペインの偉大な音楽家、チェロの神様のパプロ・カザルスの夢は、この<第九>を平和のメッセージとしてスペインで演奏することだった。この夢は、1992年のバルセロナ・オリンピックの開会式まで実現しなかった。また、ベルリンの壁が崩壊した1989年の1225日には、指揮者レナード・バーンスタインにより東西ドイツの演奏家を集めて<第九>が演奏された。まさに、人類愛というベートーヴェンがこの曲に託した思いを込めた演奏である。

ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン(17701216~1827326)は、9曲の交響曲を作曲した。最高峰と位置づけられる第9番には第4楽章にシラーの詩「歓喜に寄せて」全27編からベートーヴェンが9編を選んだ合唱が付いている。これが、「合唱」もしくは、「合唱付」と呼ばれる所以である。なお、最初のバリトン・ソロの「おお友よ」の部分は、ベートーヴェン自身の作詞によるもの。

実際に合唱は加わるのは、全曲70分近くの中で20分弱。どうしても、この歓喜の歌に注目が集まるが、それまでの3つの楽章も素晴らしい。不安気な6連符で始まり、強い意志を表現した第1楽章、通例の緩徐楽章の代わりにスケルツォを置いた第2楽章、天国に導かれるような第3楽章。これらがあってこそ、終楽章の歓喜の歌が響きわたるのである。

指揮者の堤氏は、4人のソリストもコーラスも第1楽章から舞台に配置する。これは、第4楽章だけが特別ではない、オーケストラは合唱の伴奏ではなく対等だという意味であろう。以前堤氏は、名指揮者イーゴリ・マルケヴィッチが1983年に出版した改訂版を使用することが多かった。このマルケヴィッチ版で演奏した堤氏の<第九>は、なかにし礼訳の日本語で歌うという興味深い企画で現在もCD化されており、ロイヤルチェンバーオーケストラ「第九」CDもこのマルケヴィッチ版で発売されている。

今回の使用楽譜は、新ベーレンライター版に準拠したものである。例えば、旧プライトコップ版をはじめとする諸版で常に疑問視された第4楽章330小節のティンパニ。昔は、ffからpへのディミニュエンドなのかffのアクセント表記なのかと物議を呼んでいたが、当版では、すっきりとffのままだけとなっている。これ以外にも細かいアーティキュレーションの違いはあるが、どの楽譜であろうと、あくまで堤氏の独自のベートーヴェン解釈を楽しんでいただきたい。

ベートーヴェン指定のメトロノームにこだわる堤氏の<第九>。昔、CDという録音媒体が世に出た時、マエストロ・カラヤンは、この<第九>1枚のCDに収まるだけの録音時間を主張し、初期のCDの記録時間は74分になったという逸話がある。当時の<第九>演奏は、そういうテンポで演奏されたのだった。今宵の堤氏は、引き締まったテンポ感で、全ての指定の繰り返しを入れても60分前後ではないだろうか。

古典的にヴァイオリンを左右に配置するところから主張するロイヤルチェンバーオーケストラが、新進の合唱団、東京ジングフェラインと、個性豊かな4人のソリストと共に、どんなベートーヴェンを聴かせてくれるのか。他のオケでありがちなお餅代稼ぎのお仕事気分、ただ賑やかなだけのお祭り気分の<第九>演奏でない、手垢のついていないベートーヴェン演奏の原点を聴かせてくれることは確かであろう。何か新しい発見を期待できそうな予感がする今宵である。

 

 
演奏批評の前に、もう少しだけ<第九>のウンチクを・・・
 
<第九>の日本初演は、1925(大正13)1129日の当時の東京音楽学校(現東京藝大)と言われています。これは、藝大のホームページにも記載されています。
 
しかし、実は、歓喜の歌の第四楽章に限っては、我が母校、九大フィルハーモニーオーケストラが、1925(大正13)126日に、当時の皇太子、のちの昭和天皇のご結婚を祝う音楽会で演奏しているのです。実は、九大フィルは、この他にも、ベートーヴェンの交響曲第1番やメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」も本邦初演しています。この事実は、JR九州のホームページ、あっと九州で紹介されています。九大フィルOBとしての誇りデス。
 
ところがですよ、、、これよりも前に、日本で<第九>が演奏されているんです。それは、1918年(大正7)61日に、徳島県鳴門市のドイツ人捕虜収容所での演奏です。この史実に基づく映画、「バルトの楽園(がくえん)」は、東映で来年公開です。これを記念して昔、アマチュア・オケ徳島交響楽団は、61日に、この<第九>を鳴門市で演奏していました。
 
実は、私は、前述の九大フィルのOBであり、生まれ故郷の徳島在住時は、徳島交響楽団(当時、徳島市民管弦楽団)にも所属したことがあり、偶然にも<第九>にまつわるエピソードに直結していたんです。
 
これも、不思議なご縁です・・・
 
 
 

Microsoft presents ロイヤルチェンバーオーケストラ 第九演奏会-その1

 
1225日のクリスマスは、当社が特別協賛するロイヤルチェンバーオーケストラによる<第九>演奏会でした。今日から3回に分けて、その模様をご報告します。今回のコンサート・プログラムの曲目解説も担当させていただいたので、その文章もご紹介したいと思います。1回分が長くなるので、分割しました。ご容赦ください。
 
さて、第1回は、前プログラムのヴェルディ作曲歌劇「アイーダ」序曲について。
 
プログラムには、以下のように解説しました。 
 

「ジュゼッペ・ヴェルディ(18131010~1901127)は、イタリアを代表するオペラ作曲家として今も多くの人に親しまれている。その代表作、「アイーダ」は、スエズ運河が開通した1869年、それを祝って建築されたカイロの歌劇場のこけら落としのために作曲された。エジプト古代のファラオ王国の栄光の時代を舞台としており、エチオピア王女の身分を隠しエジプト王女アムネリスに仕える主人公アイーダ、その祖国を征討するための指揮官に選ばれたラダメスの3人の悲しい愛の物語である。オペラ公演で通常演奏されるのは、4分足らずの前奏曲であるが、本日はより構成の大きなドラマテックな序曲をお聴きいただく。これは海外で、<アイーダ・シンフォニア>と呼ばれているもので、演奏の機会も多い。日本では、19824月に堤俊作氏が東京シティ・フィルで初演して以来のプロ演奏での再演と記憶する。CDは、クラウディオ・アバドのミラノ・スカラ座管弦楽団とのレコーディングもあったが、残念ながら現在廃盤で、リッカルド・シャイーがミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団を振った1枚のみが現在発売されている。なお楽譜は、ローマのBoccaccini & Spada社から出版されている。」

 

 
最近、イタリアでオペラの指揮が増えたシェフ、堤俊作氏。9月には、ローマ・マンツォーニ劇場のシーズン開幕のヴェルディ「椿姫」を指揮しています。ドラマティック仕立てで劇的なヴェルディは、元来シェフの得意とするところ。
 
冒頭の1stヴァイオリンの繊細で透明感のあるテーマから聴衆を引き込みます。途中、一箇所だけチェロ・パートの乱れが気になりましたが、160小節のGrandiosoからの見事なテンポの変わり身では、ハッとさせられるような仕掛けもあり十分楽しめました。フル・オケが乗るには、すこし窮屈な第一生命ホールでしたが、オケは、よく鳴っていました。でも、当日の会場リハ(G.P.)の方が、オケは伸び伸びしていたかな。
 
様々なテーマが登場し楽しめる曲なのですが、曲の起承転結という点で、シンフォニックにまとめ上げるのが難しい曲で、ヴェルディ本人が、この序曲ではなく短い前奏曲をオペラの前に演奏するように指定したのは、なんとなく分るような気がします。
 
 
 
 

Merry Christmas 2005

 
おっと、前号のブログ記事掲載が、写真取り込みに手間取り、
 
シンデレラの12時を過ぎてしまいました。
 
 
今日は、クリスマス。
 
 
このブログを読んでくださった皆さんに、心から、
 
Merry Christmas
 
 サンタクロース  ツリーの下のプレゼント   
 
 
 
クリスマスには、チャイコフスキーのくるみ割り人形とヘンデルのメサイア。
 
くるみのト長調のパ・ドゥ・ドゥのは、いつ聴いても涙が出てきます。
 
メサイアのハレルヤ・コーラスは元気の元。
 
 
皆さん、どんな素敵なクリスマスをお過ごしでなんでしょうか。
 
うちは家族で、何故か、もんじゃ焼きを食べに行きました。。。
 
 
 
 
 

味珍友の会忘年会

 

行きつけのJR横浜西口にある豚足のお店、味珍の常連さんが集う忘年会が、23日に開催されました。
 
手帳のカレンダーを数えてみると、今年1年間で59回このお店に行ったことになります。何やってんじゃいという方もいるかもしれませんが、海外出張帰りに成田から直行、土曜日のゴルフの後ちょっと一杯、そして会社の同僚としっとり、じっくり飲み語る場として今年年間本当にお世話になりました。
 
これだけ行くと、常連さんの仲間意識が出来て、気持ちが和みます。
 
この日は、味珍で常連さんが集合

して、軽く一杯引っ掛けたあと、常連の大御所、石井さんのおすすめカラオケ・スナックで、味珍のマスター小川さんをゲストにお誘いしての大宴会。普段の会社のお付き合いとは違う、肩書きなしのざっくばらんな呑み会です。幹事の野村さん、ご苦労様でした。

 
こういうお店を知っているって、本当に幸せだな。小川さん、来年もおいしい豚足料理で僕を元気にしてくださいね。ヨロシクお願いします。
 
 
 
 
 

指揮者大植英次と大フィル

 
会社の向かいにあるHMV新宿タカシマヤタイムズスクエア店を徘徊していると、大植英次が指揮する大阪フィルハーモニー交響楽団CDfontecレーベルから発売されているではありませんか。
 
早速、試聴コーナーでつまみ聴きして、興味津々でマーラー交響曲第6番ブルックナー交響曲第82曲を購入。この2曲、前大フィル音楽監督の朝比奈隆が得意としていたレパートリーです。
 
2005年夏のバイロイト音楽祭で、東洋人としてはじめて「トリスタンとイゾルデ」を振った大植英次。いろいろと酷評されたけど、大きな試金石でしたね。
 
大植の持ち味は、そのスケールの大きさと、ドラマティックな表現力。
 
マーラーでは、すごいアゴーギグを効かせて凝縮されたマーラーの悲劇を演出しています。大フィルは、時々金管の音の濁りがありますが、神秘的な死に対する想念を直球で表現しています。こういう指揮が評価されてバイロイトにデビューすることになったのでしょう。
 
一方、ブルックナーへの挑戦は、大植が、朝比奈隆を引き継いだ時からの使命感だと思う。ここでは、朝比奈隆が築きあげた大フィル楽員のブルックナー演奏能力をフルに活用しながらも、大植ワールドを確立しています。
 
アメリカ仕込みの派手さではなく、ブルックナーの音符をひとつひとつを紡ぎあげていくような。すこし速めのテンポは、音楽に生命力を持たせています。個人的には、朝比奈隆が愛したハース版ではなく、ここは、ノヴァーク版で勝負してほしかったところではありますが、それも大植の意地かもしれない。
 
このコンビで、ブルックナーの<ロマンティック>、R.シュトラウスの「アルプス交響曲」と「英雄の生涯」、それからショスタコーヴッチの交響曲全集がリリースされることを密かに期待している平井です。。。
 
 
 
 
 

20年来の名曲クリスマス・イブ

 
この季節になると、必ず頭の中で鳴っている曲といえば、
 
山下達郎の「クリスマス・イブ」かな。
 
JR東海のクリスマス・エキスプレスのCMでもお馴染みの名曲。
 
間奏で、聴き覚えのあるバッハ風のメロディーが、やさしく心に響きます。
 
会社の窓から見える新宿サザンテラスは、恋人たちのクリスマス・イルミネーション。
 
私は、まだまだ会社で仕事中・・・
 
 
 
 

世界の山ちゃん

 
夜から仕事で、三重県津市に来ています。
 
新幹線で、品川から名古屋まで。その後、近鉄電車で津に到着です。
 
到着が遅かったので、もう外出せず、(と言うか、遅くまでやっているお店がないらしい・・・)
 
会社の仲間とホテルの部屋で、名古屋で買っておいた缶チューハイと、
 
名古屋名物、世界の山ちゃんの手羽先で一杯。
 
気をきかせて、会社の同僚が一足先に名古屋入りしてテイクアウトしてくれていました。
 
冷えても、おいしい。むしろ辛さが引き立つ。
 
仕事の話を延々としながら、胡椒の効いた世界の山ちゃんの手羽先で大満足。
 
最近は、東京にも同店が進出。これは美味ですよ。
 
 
 
 

見たい映画

 
昨日ご紹介した菊池成孔のアルバムに端を発して、
 
急に映画が見たくなりました。それも邦画が。
 
 
まず、「大停電の夜に」。
 
そして、指揮者の金聖響さんも出演しているという「この胸いっぱいの愛を」。
 
もちろん、コミック誌で大好きな「ALWAYS三丁目の夕日」も。
 
 
正月、実家に帰省したとき、ゆっくり見たいけど。
 
実家の高松と徳島では、まだ上映してたらいいのですが・・