人生を豊かにする音楽・居酒屋・旅にまつわる気ままなブログ

音楽

サンフランシスコ交響楽団100周年

 

一週間にわたるサンフランシスコでの仕事も無事終わり、最後の夜は今 シーズン100周年を迎えたサンフランシスコ交響楽団の定期演奏会にデービス・シンフォニー・ホールに出かけた。今宵はマイケル・ティルソン・トーマス(MTT)の指揮でマーラー「花の章」、シュニトケのヴァイオリン協奏曲第4番(ソロはコンサート・マスターの アレクサンダー・バランチック)、そしてベートーヴェン「田園」。1995 年から音楽監督を務めるMTTと同オケとの絆は根強く地元でも大人気でパトロンも多い。

「花の章」は後に交響曲第1番「巨人」となる作品に初演当時含まれていた楽章。私も偶然10月に演奏することになっている。なんとしなやかな演奏だろうか。MTTはマーラー指揮者としても高く評価されているだけあって隙がないし余裕と見通しのよさを感じる。トランペット・ソロはバランスといい音色といい完璧だろう。

続くシュニトケ(1934-1998/旧ソ連のドイツ・ユダヤ系作曲家)は初めて聴く作品。いきなり学校の授業開始の鐘(?)と同じ旋律から始まる。マリンバ、ビブラフォン、ピアノ、チェレスタ、ハープシコードなど多彩なパーカッション・セクション9名が活躍するのも面白い。ソロ・ヴァイオリンはG線をペグで下げたり上げたりする奏法も見物だったし、サブのヴァイオリン・ソロが客席から演奏するなど様々な演奏上の趣向がこらされていてCDではこの面白さは味わえないだろう。バランチックとMTTのコンビでは2003年の再演ということもあり勝手知ったる安定感がある演奏でMTTの統括力が光った。終演後は鳴り止まない拍手で包まれていた。

休憩後の「田園」はオケ編成を減らし(弦は上から11+9+8+6+4人で倍管なし)室内楽的な響きを指向していた。第1楽章ではヴァイオリンやチェロを所々ソロにして響きを薄くするなどの工夫もあったが、総じて馴染めなかったというのが正直な感想。MTTなら内声部でもっと悪戯したり弾力性のある変化をつけたりできたはずなのに現代奏法において純粋な音だけで勝負しすぎていたのでは。マーラーであれだけの共感を創り上げるオケとは別人だった。一言でいえばBGMのように耳に届くだけで、汗をかかない演奏と表現したらよいだろうか。

ロビーでは100周年を記念した展示がいろいろあった。そのなかで先代のヨーゼフ・クリップスから音楽監督に指名された当時35歳の小澤征爾との7年間のパネルがあった。オザワは頑張ってたんだなあ、日本人の誇り・・・明日、帰国します。あっ、ちなみに下右の写真はMTTの指揮棒と「田園」のスコアです。


2012年2月のバレエとコンサートとオペラ・・・

2月に入ってからここ3週間続けて金曜日はバレエ、コンサート、そしてオペラに出かけ雑多な日常から離れ心底リフレッシュした。まず2月3日はボリショイ・バレエによるチャイコフスキー「白鳥の湖」全幕。東京文化会館のロビーで華やかなレセプションも開催された。本場のバレエは本当に美味しいビールのようにコクがあってキレがいい。その幻想的な舞台はアクセンチュア社日本法人50周年を飾る素晴らしいイベントとなった。

2月10日はサントリーホールで、フランソア=グザヴィエ・ロト指揮南西ドイツ放送交響楽団バーデン=バーデン&フライブルグによる東芝グランドコンサート2012。東芝による海外オーケストラ招聘も今年で31回目。冒頭のヴェーベルンの「夏の風の中で」は透明感に満ち溢れて、このオケのフレキシビリティーの高さを示してくれた。続くシベリウスのヴァイオリン協奏曲は2007年第13回チャイコフスキー国際コンクール優勝の神尾真由子が圧巻。ここまで完璧な演奏は聴いたことがない。彼女はついつい熱くなる性格のようだが、この日は公演初日という条件の中、しっかりコントロールを忘れず理性と野性が見事に調和した。アンコールがあるかと思いきやそのまま舞台袖に引っ込んだのはちょっと残念。当日のメインはベートーヴェンの交響曲第3番「エロイカ」。ナポレオン所縁の「エロイカ」をフランス人シェフがドイツ・オケを料理するいう意味での興味はあったものの、今さら「エロイカ」?というのが正直な期待感だった。しかし演奏が始まるや、グイッと引きこまれた・・・現代楽器を駆使したピリオド奏法ではないか! エリオット・がーディナーの愛弟子であった指揮者ロトならではの真骨頂。そういえばロトがサン・サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」をフランスの古楽器室内オーケストラとピリオド奏法で演奏したCDを買ってたけどまだ聴いてなかったことを思い出した。このオケはドイツ的いぶし銀の響きとは無関係でユニバーサルな音質が特長。マーラーなんかも面白いだろう。

2月17日はブラザー工業協賛の二期会オペラ公演を東京文化会館で。演目はヴェルディの「ナブッコ」。鬼才ダニエレ・アバド(指揮者クラウディオ・アバドの息子)の演出はイタリアの伝統と革新の融合が成功した。バビロン王国の舞台設定を現代の黒いスーツ姿に置き換えたのは2001年にウィーン国立歌劇場で観た同作品(準・メルクル指揮)を思い出させる。私が注目したのは若干24歳のイケメン指揮者、アンドレア・バッティストーニ。譜面台にスコアも置かず全幕暗譜で大きく両腕を動かすダイナミックな指揮。これからり活躍が楽しみで注目したい。オケ・ピットでは東京フィルハーモニー交響楽団も見事に反応していた。

これで当分コンサート通いもない。次回は4月に東京の春・オペラの森かな。おっと、その前に自分が出演するコンサートがみないみらいホールで3月17日だ。

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ドゥダメル&ロス・フィルの蜜月

飛行機の都合でアリゾナ州フェニックスからロスに移動して一泊。夜に地元ロサンジェルス・フィルハーモニックの定期演奏会があったのでチケットを手に入れてウォルト・ディズニー・コンサート・ホールに出かけた。今宵は、ジョン・アダムスの「Short Ride in a Fast Machine」、メキシコの作曲家エンリコ・チャペラの電子チェロのための協奏曲「MAGNETAR」世界初演、そしてプロコフィエフの交響曲第5番というプログラム。指揮はもちろん地元で大人気の若手注目株、グスターボ・ドゥダメル。現代作品が前半2曲並んでいる割に会場はほぼ満席、ドゥダメルの人気が窺える。ウォルト・ディズニー・コンサート・ホールはエントランスやロビーがゆったりした空間で形成されてモダンな造り。舞台を取り囲む形で配置された客席はどこからも眺望しやすく、木製を基調としたデザイン、特に舞台中央に配備されたたパイプオルガンが美しい。ディズニー家が相当に資金を費やしたのも分かる。1曲目のアダムスは現代アメリカを代表する作曲家。鋭いリズムが様々に変化する約4分の作品に対して、ドゥダメルは正確さを基調とした棒さばきでシャープな音楽の要素をリードした。続くチェロ協奏曲は世界初演。ここでいう電子チェロとは、YAMAHAのサイレント・チェロをPCと接続し、ロックのエレキ・ギターのように音色を七変化させる作品。ソロは来日したこともあるイケメン・チェリストのヨハネス・モーザー。日本では当たり前のようなYAMAHAのサイレント・チェロも米国では物珍しいらしい。演奏前にすこし解説があった。そもそも日本の小さな住宅で音量を気にせずにチェロを楽しむために開発された楽器だけに、アメリカのような住宅事情には必要なかったのかも・・・ この作品は予想外に楽しめた。冒頭は弦楽器セクションが楽器を使わず、両手をこすり合わせて音をだし、それから両手を拍手みたいに鳴らし電子チェロの伴奏をする。途中、完全にヘビメタかと思うようなチェロの使い方もあり、多種多様。難いこと言わずに身体が自然に反応したって感じの作品だった。終わったらブラボーと口笛の嵐。ロック・コンサートか?? これもドゥダメルの人気なのだろう。休憩を挟んでのプロコの5番がまた素晴らしかった。ドゥダメルがプロコのスコアを完全掌握し、オケの緻密なアンサンブル力を背景にガッツリした造形力と巧みな色彩感で勝負した演奏。ロス・フィルってこんなに上手かったっけ? 土地柄かチャイニーズ系の団員が多いこのオケは誰かが出しゃばるのではなく、オケ全体で広い音域と音色を紡ぎだすひとつの楽器のように機能していたのがとても印象的。見直しました、ロス・フィル!!!  ドゥダメルも貫禄が付いてきて振り方がどことなくアバドに似てきたと感じるのは私だろだろうか・・・終演後、ギフト・ショップでTシャツ、ロス・フィル指揮棒、サイン会に備えてモーザーのCDをお土産に。ロビーでモーザーのサイン会では写真もバッチリです。

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エッシェンバッハ&ウィーン・フィル来日公演


香港出張が1日短くなったので、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の来日公演に予定どおり行けたのは幸運。最初は諦めて誰かに譲ろうかとまで悩んでいたのだが。。。今年はクリストフ・エッシェンバッハの指揮で私の大好物のブルックナー交響曲第4番「ロマンティック」をメインディッシュに前半はラン・ランのソロで今年生誕200周年のリストのピアノ協奏曲第1番という豪華モノ。来週にスクロヴァチェフスキーが来日して同「ロマンティック」の公演があるが、米国出張なので今回は意地でも行きたかったのです。

来日初日公演ということもあり、かつこの作品に限り若手楽員を登用したためか、前半のリストは少しウィーン・フィルも探り探りのところがあり硬さがあったが、ラン・ランのピアノは天性の音楽性とたぐいまれないテクニックでオケと対話し対決する動的な演奏が魅力。エッシェンバッハ自身が元ピアニストということもありサポートは万全。みなとみらいホールのスタインウェイはすこし音が硬い印象を持ったが、アンコールでラン・センが演奏したリストとショパンの小品でスターダストのように静かに輝く音色には息をのんだ。

後半のブルックナーは完璧!!! これまで数多くの同作品の演奏会に足を運んだが人生ベストの体験だった。冒頭から相当ゆったりしたテンポを頑固に堅持。そこにウィーン・フィルならでは町の庁舎から一日の始まりを告げるウィンナ・ホルン。ああっ・・・こんな美しいホルン聴いたことない。その後静かな高揚を経て第1ヴァイオリンが練習番号A前の主旋律を楽譜指定より1オクターヴ上げて演奏、なんとニクイ演出か! (これはカラヤン&ベルリン・フィルもやっている。もともと改訂版の記述がこうなっていて古くはフルトヴェングラーやマタチッチも採用していた。) その後もどっしりとしたテンポ感に揺るぎはない。大きな造形を示すエッシェンバッハの棒にウィーン・フィルが深い理解と共感を示し、フレーズ毎に単調にならず細かいニュアンスがふんだんに盛り込まれる。私は北ドイツ放送交響楽団を指揮したエッシェンバッハの同作品のCDを持っているが、アプローチは同じでもひとつひとつの表現力はウィーン・フィルには敵わない。ノヴァーク版による演奏は第3楽章のトリオでも見事なハーモニーの深みを出す。終楽章もどっしりとしたテンポを貫きながら一切間延びせずエネルギーを凝縮。やはり伝統が成せる技なのだろうか。終演後のサイン会でエッシェンバッハとラン・ランのサインをもらう。ラン・ランのサイン会には数百名ならんでたと思う。エッシェンバッハのサインは昨年春にサンフランシスコ交響楽団に客演時ももらったけど、今宵の感動を直接伝えたくてサイン会に並んだ。エッシェンバッハに前述のヴァイオリン・パートの記譜と違う演奏を指摘すると、よく分かってくれた!と御満悦でした。

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軽井沢国際音楽祭2011

今年も軽井沢国際音楽祭に来た。日曜日のフェスティバル・オーケストラ・コンサートに出演する。金曜日は軽井沢大賀ホールで「音楽家の食卓」と題した室内楽コンサート。一流のシェフたちが繰り広げる演奏は圧巻。美食評論家の山本益博さんのナビケートも楽しかった。山本さんによると、日本で魚をさばくと全て別々に食するが、フランスでは牛一頭をさばいてバラバラにした後ソースになった部位と塊で食べる部位が再びひとつの皿に集結するとのこと。ブラームスのピアノ五重奏曲を聴いて味の違うパーツとパーツが複雑に絡み合って出来る大きな宇宙と似ているなぁと感じる。肉分化と魚分化の違いか・・・ コンサートの後はお決まりの会食会。軽井沢駅近くの居酒屋で盛り上がる。

下の飲み会写真の左は作曲家/ピアニストの野平一郎さんとN響ヴァイオリンの森田昌弘さん。真ん中はオーケストラ・アンサンブル金沢首席チェロ奏者のルドヴィート・カンタさんと東京交響楽団首席クラリネット奏者のエマニュエル・ヌヴーさん、右は音楽監督の横川晴児さんと美食評論家の山本益博さん。本当に楽しい軽井沢の夜でした。

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“雑草”指揮者、佐渡裕の半生記

今年5月にベルリン・フィルの定期演奏会にデビューした指揮者、佐渡裕氏の自伝的エッセイ2冊、「僕はいかにして指揮者になったか」(新潮文庫)と「僕が大人になったら」(PHP文庫)を夏休みに読んだ。「絶対にオーケストラを振ったるねん・・・」という熱い夢に邁進しつづけた男の半生記。世界のオザワとレナード・バーンスタインとの運命的な出会い。人生って想い続けて努力すれば夢は必ず叶うということが実証されて勇気をもらえる。関西弁の語り口によるエピソードが文章を柔らかく読みやすくしてくれている。特別に指揮法の授業を受けたことはなく、僕でも持っている斎藤秀雄の「指揮法」の教本は、出てくる言葉が難しく辟易して「何やこれ」って投げだしたらしい。文中に出てくる最初の指揮の師匠の岡田先生とは岡田司さんのことだろうか。岡田司さんとなら私も大阪勤務時代にアンサンブル・モーツァルティアーナで数年ご一緒した。佐渡裕とは全く対照的な”静“の指揮をなさる素晴らしい指揮者だ。また学生時代のエジンバラのフェスティバルで私の九大フィル先輩で現在名古屋フィルでクラリネットを吹いている井上京さんと一緒だったという話題でも佐渡さんが近くなってた気がした。佐渡さんはクラシック音楽とワインは似ていると表現する。「何かと表面的な儀式のようなところばかり見えて、実際の味には触れたことがなかったりする。」と。そのために「題名のない音楽会」の司会を務めたり「サントリー一万人の第九」を通じて分かりやすくクラシック音楽普及に力を注いでいるのだろう。ビジネスにも通じる語り口も見つけた。ひとつは、「指揮者とは楽団員の心をMUSTからWANTにか変えるための存在」。そのためにはある事を確信を持って人に伝える勇気が必要なのだと。もうひとつは、「自信とはありのままの自分を信じられること」だと説いている。英語やドイツ語、フランス語、イタリア語で苦労した話も面白い。バーンスタインとオザワからも語学をちゃんと勉強しないといけませんと叱られたらしい。言葉が全てではないけれど、ビジネスの世界も同じだ。自らを”雑草”と揶揄しながらも今やヨーロッパでは大人気者になった佐渡さんは世界一のアマチュア精神を持った指揮者だと思う。それにしてもTVを観る度に、佐渡さんの顔って”まいう~”の石ちゃんに似ていると思うのは僕だけだろうか・・・

 

 

 

 

 

 

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夏の早朝のメシアン

先日タワーレコード横浜モアーズ店のお会計に並んでいたらレジ後ろの棚に置いてある”メシアン”の文字に目が留まった。それは児玉桃さんのピアノによるメシアン「鳥のカタログ」全曲の3枚組CDだった。スタッフの方に尋ねると誰かの予約ではなく再陳列のためにここに置いてあるとのこと。思わず、「それじゃ買います!」。児玉桃さんは今やメシアン作品のピアノ演奏の第一人者。彼女の知的で色彩豊かな音楽はメシアンの難易度の高い音符の連鎖と透明な響きを見事にバランスしてコントロールしている。フランスの現代作曲家オリヴィエ・メシアンは鳥類学者としても知られ鳥の歌声を採集していた。来日時に軽井沢で採集された鳥たちの歌を基に「七つの俳諧」の第6曲「軽井沢の鳥たち」が作曲されている。僕は夏の早朝の爽やかな時間にこの作品を聴く。多彩なメシアンの自然と音楽の不思議な調和が心地よい。これにモーニング・コーヒーで落ち着いた朝を過ごすとサイコーの一日を迎えられそう。SACDで音もよく、豪華な化粧ボックス仕上げで解説書も充実している。
メシアン:「鳥のカタログ」(全曲)
第1巻 1.キバシガラス 2.キガシラコウライウグイス 3.イソヒヨドリ
第2巻 4.カオグロヒタキ
第3巻 5.モリフクロウ 6.モリヒバリ
第4巻 7.ヨーロッパヨシキリ
第5巻 8.ヒメコウテンシ 9.ヨーロッパウグイス
第6巻 10.コシジロイソヒヨドリ
第7巻 11.ノリス12.クロサバクヒタキ 13.ダイシャクシギ

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カンタさんの無伴奏チェロ組曲

今年も夏の恒例、軽井沢国際音楽祭のフェスティバル・オーケストラ・コンサートに出演させて頂く。今年は2年振りにオーケストラ・アンサンブル金沢の首席チェロ奏者のルドヴィート・カンタさんがチェロ・パートを率いる。過去何度も同音楽祭でお会いしているが、ユーモアに満ちて温かい人柄と日本人には出せない深みのある音色に一発で大ファンになった。

そのカンタさんが、J.S.バッハの無伴奏チェロ組曲全6曲のCDをリリースした。2009年5月に石川県立音楽堂での1日6曲全曲の3時間コンサートののち、同年7月と12月に録音されている。第1番のプレリュードから、懐かしいカンタさんの音だ。1900年製作のステファノ・スカランペラーがガンガン鳴る。最近ではレガートな古楽器奏法が流行の優しい演奏が多い同作品だが、カンタさんは往年のチェロの神様、パブロ・カザルスを彷彿とさせるような頑固で冒頓とした解釈が聴きもの。このダイナミズムはスロヴァキア生まれの恵まれた体格から生み出されるもので、そんじょそこらの日本人チェリストでは真似できない。カンタさんはエチュードをさらうのが好きだとおっしゃってた。楽器演奏の基本中の基本だからね。でもカンタさんが弾くと退屈な運指の練習曲が素敵な演奏会ピースの作品に七変化してしまう。それくらいゴージャスな演奏なんだ。今年も夏の軽井沢での再会を心待ちにしている。下は2009年の軽井沢国際音楽祭でのスナップ写真。                                       

  

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邦人指揮者の雄、小澤征爾と佐渡裕

先月発売されたCDの中でも、小澤征爾&サイトウ・キネン・オーケストラによるベルリオーズ「幻想交響曲」と、佐渡裕&ベルリン・フィルによるショスタコーヴィッチ「革命」は日本を代表する二人の指揮者による注目の演奏だけにこのブログで取り上げないわけにはいかないだろう。

 まず、佐渡裕のベルリン・フィル・デビューLIVE。題名のない音楽会などのTV番組でもその映像が放映されたのでご存知の方も多いはず。佐渡はバーンスタイン譲りのデッカイ音楽造形を重視し、とてもジューシーな演奏が繰り広げられる。特にフィナーレのド迫力は歌舞伎の大見得のごとし。レコード芸術誌で辛口評論家の宇野巧芳氏が称賛しているのを読んで逆に懐疑的になったのだが。ベルリン・フィルの名手達が何とか佐渡の想いを汲み取ろうという姿勢が伝わってくるが、佐渡自身からもっと棒ではっきり解釈を伝えるべきではないか。CDジャッケット写真でも判るようにスコアを捲りながらの指揮なのだから、ベルリン・フィルの実力に頼りきらず、密度の高いタクトを見せてほしかったところだ。 

一方の小澤の奇跡のNYライブ2と題したCDはブラームス交響曲第1番に続くリリース。過去の小澤の同作品録音とタイミングでも大差のないユニバーサルな演奏。私は2007年に松本で同コンビによる「幻想交響曲」の生演奏に接した。上品でありながら、食べ頃の生レバ刺しのような劇的な演奏は今でも忘れない。それと比べると今回のカーネギーホールでの演奏はちょっと大人しく、かつ薄っぺらになったと感じる。長期療養からの復活だけに、安全性を優先したのだろうか。それに2007年の演奏とはオケのメンバーに相当の交代があり特に管セクションは2007年に軍配を上げる。昨年は巨匠ミュンシュによる同作品の超爆演ライブが発売されてからはどれを聴いても分が悪い。 

何はともあれ、佐渡裕も小学生時代からの夢が叶ったわけだし、世界のオザワも復帰できて、全てめでたし、めでたし。

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下野竜也の新境地

7月18日は東京オペラシティコンサートホールで下野竜也が読売日本交響楽団正指揮者としてヒンデミットとブルックナーの新境地に挑んだコンサートに出かけた。今宵の目玉はブルックナー交響曲第4番〈ロマンティック〉。下野にとってブルックナー・シンフォニーは特別な存在であるはず。これまでヒンデミットとドヴォルザークの作品を広く取り上げオケの彩の多様さを際立たせながら見事にオケをコントロールする実力を示してきた。どちらかというと大曲よりもミッドサイズの作品を掌握するのが得意と映っていた。

これまで大阪フィルとの交響曲第0番の録音はあるが、伝統ある読響定期で第4番を取り上げるのはよほどの勇気がいっただろう。と云うのも、大フィル研究員として研鑽を積んだ恩師、朝比奈隆の十八番であり、常任指揮者として読響の発展を支えてきたスタニスラフ・スクロヴァチェフスキの得意作品でもあるためだ。この二人の世界的ブルックナー指揮者は解釈において対極にある。朝比奈は常にハース版に固執しインテンポで頑固な造形を示すのに対し、ミスターSはノヴァーク版を基調に一部改訂版の要素も取り入れ、終楽章では銅鑼まで登場させるアトラクティブな演奏(小兵ザールブリュッケン放送響との録音)。さあて下野のアプローチはどんなだろうと興味津々だった。結果的にはハース版を使用。しかし第3楽章のトリオではオーボエに替えてフルートとクラリネットに主旋律を吹かせてノヴァーク版に準拠。ハース版崇拝者のギュンター・ヴァントもこの方法を採用している。

さて第1楽章から振り返ってみよう。冒頭はわずかなホルンのミスが残念であったが、翌日のサントリーホールでの定期公演では修正されるであろう。弦セクションを含めてテヌート気味に進めていくことで音楽の幅を出そうとしたのは朝比奈にもミスターSにもない新境地だ。それでいて金管を強弁させず、僅かなディミニュエンドも用いてフレーズを納める(例えば練習番号B直前やFやKの箇所)ことも効果的であった。第2楽章はヴィオラが長い深遠な旋律を演奏するが音色の統一感が今一つだったのが残念。(舞台を見るとーなんとヴィオラ首席にN響の飛澤さんが座っているじゃない。何故???) またヴァイオリンの弓使いも不揃い。アダージョではないのだという意識をもっと強調してくれると期待していたのだが、下野ならリハーサルでもっと主張できたはず。第3楽章は小気味よいテンポで段落毎のダイナミクスの変化も立体的で下野のよさが全面的に出た。その成果がそのまま終楽章にも受け継がれ音楽の高揚を迎え、溌剌とした中に渋さを兼ね備えた拡張感を持った秀演となった。Langsamer以降も4つ振りと3つ振りを振り分けず、朝比奈譲りの終始2つ振り。ミスターSが読響で数年前に見せたようなミステリアスさはないものの〈ロマンティック〉という作品をひたすら丁寧に解読し聴衆へのメッセージとして伝えてくれた。

下野竜也さんにブラボー!

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金聖響のベートーヴェン全集完結

注目の指揮者、金聖響がオーケストラアンサンブル金沢(OEK)を振ってのベートーヴェン交響曲録音が第4番と第8番で完結した。ここまで6年強を費し途中ブラームス交響曲録音で中断はしたものの、ベートーヴェン全9作品の日本人若手指揮者による偉業である。金聖響にとってそれは遥かなる旅だったのか、それともインターネット時代の当たり前の出来事だったのか。今回も新ベーレンライター版を用いたピリオド奏法を基本にベートーヴェンの偶数番シンフォニーの特長である明るい響きを貫いている。OEKの巧さは光るが、今回はメンバーが入れ替わったのか、何故かヴァイオリン・セクションの乾き過ぎた響きが気になる。金聖響は著書、「ベートーヴェンの交響曲」(講談社現代新書)の中で、カルロス・クライバーのベト4が子供の頃の思い出と綴っているが、クライバーほどの猛烈なエネルギーと躍動感は感じられなかった。第8番は形式に拘るあまりに作品本来の持つユーモラスさが欠如している。特にテンポ設定。終楽章の全音符=84、もっと冒険してもよかったのでは? それでも両作品とも随所に金聖響ならではの緻密な創意が施され爽快感を保とうとしている努力は認める。兎も角、まずはベートーヴェン交響曲全集完成おめでとうございます。金聖響、これからももと大胆に日本のクラシック音楽界に切り込んでほしい。

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藤谷治「船に乗れ!」

ここ3週間、作家藤谷治氏の作品と付き合ってみた。本屋大賞候補になった「船に乗れ!」の単行本3巻とその小説の背景とも言える今年出版されたエッセイ、「船の上でチェロを弾く」。読んでいる時のドキドキ感って何だろう。それは、音楽高校でチェロを専攻し夢破れる青春小説。仔細なまでの音楽表現。加えて哲学談義・・・まるで僕自身の音楽愛好人生をなぞっているみたいで。藤谷治氏は洗足学園高校音楽科を経て日大芸術学部映画学科を卒業。会社員務めの後現在は下北沢でフィクショネスという本屋をやりながら小説を書いている。「船に乗れ!」は自身の高校生活を題材に脚色した波乱万丈の青春音楽物語。3巻にもわたる長編小説だが、甘酸っぱい青春の匂いとクラシック音楽への真摯な想いが満載で次々と先を読みたくなる。主人公のサトルが悩んだ挙句にチェロを辞めると決めたシーンを読んでふっとこんな場面を考えた・・・”学生時代の親友と十数年振りに飲みに行って、その場でその友人が昔話を延々と語り始める。覚えている話もあれば忘れている話もある。でも延々と友人と共に青春の日々を頷きながら振り返る。そんな恥ずかしいこともあったよなと笑って振り返られる・・・” この本はそんな雰囲気を持った小説だった。藤谷治氏は1963年生まれなのでほぼ同世代。小説に出てくるカザルスの無伴奏チェロ組曲とホワイトハウス・コンサートでのメンデルスゾーンのピアノ・トリオ、デュ・プレのハイドンのチェロ協奏曲・・・どれも僕自身が大学時代にLP買って、しこたま練習した作品ばかり。今年3月に発売された書き下ろしエッセイの「船上でチェロを弾く」は、「船に乗れ!」を読み終えてから振り返るのにピッタリの解説集のようになっている。一度、下北沢にある氏の本屋を訪ねてみたい。

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インバル&都響のブラ1に金縛り

快進撃を続けるエリアフ・インバルと東京都交響楽団のコンビ。これだけ指揮者とオケのコンビネーションで継続的にワクワクするのはスクロヴァチェフスキ&読売日本交響楽団以来。マーラーの「復活」(2011年1月リリース)は、ほぼ同時期に発売されたラトル&ベルリン・フィルよりはるかに高い完成度と渾身のメッセージを発信してくれたのは記憶に新しい。そんな同コンビが、巷に名盤ひしめくプラームスの交響曲第1番をリリースした(2010年11月サントリーホールでのライブ録音)。タワーレコード横浜モアーズ店で見つけた時も買う気はさらさらなかったのだが、視聴してビックリ、そのままレジに並んでいた。日曜日に大音量で一人ホームシアターで聴いたが金縛りにあった。全てが凝縮していて非の打ちどころがない。敢えて粗探しをすれば第4楽章序奏部後半(練習番号B)のホルンがほんの一瞬出遅れる点のみだろう。インバルの解釈はマーラー作品に通じるダイナミズムがあり、ある意味においては古風でさえある。それは冒頭のオルゲンプンクトを極限までffで強調することによって音楽の土台を造る作業にも表れている。都響のアンサンブル力も極めて高い。それも手慣れたブラ1を材料に、インバルの指示待ちではなく積極的に各セクションがインバルに挑んでいるところが聴きモノ。東京都は石原知事のもとで財政再建を余儀なくされているが、文化都市、東京の象徴として実力的に世界にも通じる都響を蔑にしないでほしい。

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ストラディヴァリウス・サミット・コンサート2011

先週まで忙しくてブログ更新出来なかったので、日曜日の朝は早起きしていくつか投稿する。まずは音楽ブログに相応しい話題として5月30日にサントリーホールで開催された「ストラディヴァリウス・サミット・コンサート2011」。パソナ・グループ南部代表からのご招待でここ数年毎年楽しませていただいている。
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モーツァルト: ディヴェルティメント へ長調KV138
バーバー: 弦楽のためのアダージョ 作品11
スーク: 弦楽のためのセレナーデ 変ホ長調 作品6
シューベルト: 5つのメヌエットと6つのトリオ D89
チャイコフスキー: 弦楽のためのセレナーデ ハ長調 作品48
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ストラドの魅力、ベルリン・フィルの実力を余すところなく発揮するに値するプログラムだ。翌31日はメインにチャイコの弦セレに代わり、ドヴォルザークの弦セレが配置されているプログラムがあったのだがこちらも興味をそそる。ベルリン・フィルの弦セクション・メンバーが銘器ストラドで奏でる音楽は本当に美しい。極限のアンサンブル能力と表現力。

期待のチャイコの弦セレでは冒頭のC-Durのスケールが曖昧なまま始まりちょっとドキッとしたが直ぐに立て直し、時間の芸術の中で最後はそんなことまで忘れさせる力を持った演奏だった。最小限プルトで演奏しているとは思えないダイナミックさ。見事なストラドの容姿は音を聴かなくとも見ているだけで惚れ惚れしてしまう。楽器眺めながら酒飲めるって位・・・
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インバル&チェコ・フィルのマラ5に物申す

土曜日に横浜みなとみらいホールに金聖響指揮神奈川フィルによるマーラー交響曲第9番のコンサートに行こうと予約していたのに、うっかり時間を間違えて聴き逃してしまった。ショック・・・ マーラー生誕150周年の昨年と没後100周年の今年に因んで優れたマーラー演奏に触れる機会がや多いのはファンとしてう嬉しいことだ。東京都交響楽団とのマーラー・チクルスが進行中のエリアフ・インパルがチェコ・フィルハーモニー管弦楽団と今年1月に録音した同交響曲第5番が注目されている。チェコ・フィルは、マーラーの交響曲第7番の初演を行ったりと、ウィーン・フィルと同格に、ボヘミア生まれのマーラーとの縁のあるオケである。演奏はオケのサウンド全般に余裕があり実に雄弁である。渾身の第2楽章も見事であることは認める。しかし、録音技術によって補正された部分(普通のライブでは聴こえないであろう楽器のバランス)が耳には新鮮なのだが、嫌みになる箇所もあるのは事実。そもそもEXTONレーベルは都響とインパルがマーラー交響曲全集の完成に向けて着々とその実績を創っているのに何故いまこの録音をリリースするのだろうか。都響に失礼ではないか。もちろんオケの実力としてはチェコ・フィルのホルン・セクションの豪快な響き、弦セクションの艶やかさを考えると、都響が特色に欠けるのは事実であろう。その都響からインバルがどんなマーラー・サウンドを引き出してくれるかが楽しみなのであって、あまり商業ベースに乗せてなんでもリリースするのは如何なものかと考えてしまう。がんばろう日本、がんばろう都響!

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オーケストラ大国アメリカ


GWに読書三昧した中の一冊に山田真一氏著の「オーケストラ大国アメリカ」(集英社新書)がある。東京国際フォーラムで開催されたラ・フォル・シュルネ・オ・ジャポン2011のコンサートの合間に一気に読んでしまった。知ってたようで知らなかった事実がいろいろと記載されており興味深い。例えば、ニューヨーク・フィルハーモニックの設立はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と同じ1842年という事実。あのフルトヴェングラーがシカゴ交響楽団の音楽監督就任予定だったとか。もしも、実現していたらクラシック界の歴史が変わっただろうな。ヨーロッパ以上にショウ・ビジネスが盛んなこの国で全てがチキンとしたエコ・システムの中で”ビジネス”となっているところが流石アメリカって感じ。往年の指揮者では、フリッツ・ライナー&シカゴ交響楽団の疾風の如く駆け抜ける「運命」、ジョージ・セル&クリーブランド管弦楽団の緻密なシューマン交響曲全集、ブルーノ・ワルター&コロンビア交響楽団の心温まるモーツァルト交響曲第40番&41番は今でも色褪せることなく私の貴重なLP/CDコレクションだ。ストコフスキーのアメリカ音楽界に対する功績が大きいことがこの本でよく分かる。家に帰って無性にストコフスキーが出演する映画「オーケストラの少女」が観たくなって夜中3時まで観てしまった。

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わが街のオーケストラ、九響の躍進


九大の学生時代、福岡のわが街のオーケストラは九州交響楽団だった。定期公演の時にはチケットもぎりのバイトさせてもらって、後半は会場に入り込んで聴いたこともあった。大学4年生の時には、私のチェロの師匠のお誘いで九響の演奏会に何度かトラ(賛助団員)で出演もさせてもらった。その時のギャラは全て溜まっていたレッスン代の返金に消えたのを覚えている。そんな九響も地方オーケストラと呼ぶのはもはや失礼だろう。フォンテックからリリースされたマーラー生誕150周年記念の第305回定期演奏会の交響曲第1番《巨人》(花の章含む)を聴いていると懐かしさと同時にその進化に感服する。ミュージック・アドバイザー/首席指揮者である秋山和慶氏の堅実な棒さばきにより外見の派手さよりも若きマーラーの内面的葛藤を遅めのテンポを中心にしっかりとした絵巻物で表現してくれている。特に終楽章は圧巻だ。自宅には「九響30年」と題したLPレコードが置いてある。その中にはNHKでも放映された黒岩英臣氏指揮のブルックナー交響曲第4番が収められている。その当時(1983年)から30年近く・・・初期の30年とは比べものにならないくらいのオケとしての実力と実績を積んだ九響。これからも応援していきたい。

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ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番-俊友会管弦楽団第47回定演作品から

前回のブログに続いて今度はラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のお気に入りのCDを紹介したい。この作品にはルビンシュタインやリヒテルの往年の名演奏が多い中、注目は中国の若手女流ピアニスト、ユジャ・ワンがクラウディオ・アバドと彼の小兵マーラー・チェンバー・オーケストラを配して2010年4月にイタリア・フェラーラでライヴ・レコーディングしたニューリリース。彼女の前作「Transformation」での超絶技巧と奏でる音のニュアンスの妙に一目惚れしたのは私だけではないだろう。今回の演奏はロシア作品にありがちな大袈裟さは微塵もなく、華麗でチャーミングでいて湧き上がる生命力のある新しいラフマニノフの姿がある・・・でも、どんな美辞麗句も及ばない。この演奏の成功を導いたのは紛れもなくアバドだと思う。若手中心かつ小編成のマーラー・チェンバー・オケの楽員ひとりひとりとコミュニケーションとりながら、その楽員と同世代のユジャ・ワンを有機的に結び付けることが出来るアバドはやはり巨匠だ。ちなみに同カップリングのパガニーニの主題による狂詩曲は同作品のベストCDと言ってもよい。
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チャイコフスキー交響曲第4番-俊友会管弦楽団第47回定演作品から

5月8日の俊友会管弦楽団第47回定期演奏会@文京シビックホールが近付いてきた。チャイコフスキーの交響曲第4番とラフマニノフのピアノ協奏曲第2番というロシア二大作品を並べたプログラムは聴き応えあると同時に演奏する側は皆さんに馴染みが深いだけに気を抜けない。GWは自宅でしっかりと練習しているが、お気に入りの同作品のCDを聴いてちょっとリラックス。まずはチャイコフスキーの交響曲第4番・・・カラヤン&ベルリン・フィルの1971年の録音(EMIクラシックス)を取り出してみた。カラヤンは同作品を6回レコーディングしているだけあって得意作品のひとつであることは紛れもない事実であるが、その中でも蜜月の全盛期にあったこの録音が好き。スタッカートの指定箇所もレガート奏法を多用するあたりはカラヤンしかできない真骨頂。ドイツ・グラモフォンのファットな録音よりもシャープで、細部よりも全体のダイナミックな流れを重視した爆演。聴くたびに勉強する点は多いのだが、いざ演奏するとなると”こう”はいかないのが悩み。。。今はHi Quality CDで1,200円で発売されているのはお買い得だ。
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晴れ晴れ日曜日のマーラー


昨日の大雨と打って変っての日曜日、東京は素晴らしい天気。朝から爽やかな一日に相応しいCDを聴こうと取り出したのが、フイリップ・ヘレベッヘが自ら主宰する古楽器オーケストラ、シャンゼリゼ管弦楽団とともに自主レーべルを立ち上げリリースしたマーラー交響曲第4番。一点の曇りもない透明感と同時にマーラーらしい奥行きとしっとりした響きでマーラーのエレガンスとエスプリを見事に伝えてくれる。近年の同作品のベストと呼んでよいだろう。このブログ1,000記事投稿記念にこのCDを紹介できたことはうれしい・・・お昼過ぎたら冷えたビール片手にもう一度全曲聴こう。

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チョン・ミュンフンのロマンティシズム

3月15日にサントリーホールで予定されていたチョン・ミョンフン指揮チェコ・フィルーモニー管弦楽団による東芝グランドコンサート2011が東北地方太平洋沖地震被害の甚大さと聴衆の安全を鑑み中止となった。賢明な判断だと思う。そのコンサートにご招待くださった東芝社から当日配布予定だった公式プログラムと、同コンビが先月に同楽団の本拠地であるプラハ芸術の家ドヴォルザークホールにて行ったプラームス交響曲第4番のライブ公演を収録したCDを送ってくださった。レコード芸術4月号のPRE VIEWコーナーでも”フルトヴェングラー以来の名盤”と断言されていただけに、贈って頂き大感謝・・・

そもそも私はチェコ・フィルはボヘミアの香り豊かなどちらかというとローカル色の強いオケと認識し縁遠かった。もちろん、ドヴォルザークやスメタナ作品においての元祖家元的な音色は素敵なのだが、LP/CDコレクションにおいても数少ないのが実態。一方、指揮者のチョン・ミュンフンは同じアジア人でありながら、その国際性と一種のカリスマ性で従来から尊敬する指揮者のひとりであった。(ちなみに、数年前に知人を介して一緒に食事をした経験があるが、その人間性にも惚れ込んだ。)

そのコンビが奏でるプラームスは、圧巻のただ一言に尽きる。 ブラームス独特の和声を見事に料理し、チェコ・フィルの豊かな響きと、本筋を外さすスパイシーなアゴーギグを駆使した絵巻物のようなブラ4はこれまでに聴いたことがない。特に第3楽章の熱狂性と躍動感には脱帽。ここに永遠の名曲ブラ4の新たな銘盤が加わった!

下は数年前にN響定期を振ったチョン・ミョンフンと楽屋で記念撮影した時の思い出の写真。

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ミュンシュの《幻想》あれこれ

シャルル・ミュンシュはベルリオーズの《幻想交響曲》を得意としていた指揮者である。私が知っているだけで6種類の録音(CD)と2種類の映像(DVD)が発売されている。パリ管弦楽団とのセッション録音(1967年10月)は往年の名演として今でも色褪せず有名だが、その翌月の同楽団とのライブ録音が昨年発売され、センセーショナルな評判を呼び、レコード芸術誌のリーダーズ・チョイスの第1位にもなった。私も聴いたときは度肝を抜かれた。その時のブログはこちらをご参照ください。


そのミュンシュが1960年に小兵ボストン交響楽団と来日し日比谷公会堂で演奏した《幻想》がNHKの貴重な録音からCDリリースされた。パリ管とのライブでの破天荒な演奏に毒された自分としては、ミュンシュのライブならではの刺激を求め早速購入した。これもなかなかのスグレものである。第1楽章は早めのテンポ設定で少しあっさりと音を紡ぎながらも徐々にエンジンが掛かり、パリ管ライブに勝るとも劣らない緊迫感とアゴーギグ、そしてオケとの阿吽の呼吸がしっかりと伝わってくる。NHKの録音もよくここまで丁寧に保存されていたものだと感心する。突然のパウゼはCDプレーヤーが壊れたかと勘違いするくらいドキッとする。パリ管ライブと比較して唯一残念なのは金管セクション、特にトロンボーンがかなりバテていて終盤で音がふやけている箇所があること。でもミュンシュの大爆演は最終音の長いフェルマータまで終わることはなく、そのパノラマに少々の音程のズレなど気にならなくなる。こんな斬新な演奏を当時の日本人(私が生まれる前なんだけど)はどう受け止めたのだろうね。


同じくライブならもっと面白いかもと、怖いもの見たさでミュンシュにとって同作品の初録音となる1949年のフランス国立放送管弦楽団とのCDも買った。しかしライナーノーツをよく読むとこちらは公演の翌日の録音パリ・シャンゼリゼ劇場でのセッション録音だと分かりガッカリ・・・演奏はソツなく全く古さを感じさせない点は素晴らしいが、前述のパリ管ライブとボストン響の来日ライブとは月とスッポンだろう。やはりミュンシュは”ライブの指揮者”だったんだと感じさせる。きっとリハーサルと本番ではテンポも大きく変わったのだろう。演奏する方はたまったもんじゃないだろうけど。

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マーラー「復活」魂の叫び

東北地方太平洋沖大震災から2週間以上過ぎた。被災された方々には心からお見舞い申し上げます。一日も早い復旧・復興を願っています。地震発生以前から聴き始めたが、一層それ以降に気持ちを奮い立たせるためにマーラー交響曲第2番「復活」をよく聴いていきた。

サイモン・ラトルと小兵ベルリン・フィルとの蜜月ライブ(2010年10月ベルリン・フィルハーモニーホール録音)がリリースされている。尽きることのないゴージャスさと細部まで油断のない完璧さには脱帽である。初めて聴き通した際にこの美しさは無心さから授かった生き物ではなく、緻密に計算され尽くした科学的な成果物と感じてしまった。しかし聴き込む毎に、やはりその完璧な演奏の魅力から離れることはできなかったのはラトルの魔力だろう。

私は先月発売されたエリアフ・インバルが東京都交響楽団からの最高位の崇拝を受けたライブ(2010年6月サントリーホール録音)に注目したい。贅肉をそぎ落とした早めのテンポを基調にラトルに勝るとも劣らない世界的マーラー指揮者インバルの自信作となっており、都響が世界レベルの合奏力と披露してくれていることが何より嬉しいし、二期会も質の高い合唱で全面的にサポートしてくれている。地震の傷跡が大きい今、インバルの魂の叫びは勇気を与えてくれる。

金聖響が神奈川フィルを新境地に導いたライブ(2010年5月神奈川県民ホール)という対照的なCDもリリースされた。作品を誇張のない透明感で包み込んだ演奏ではあるが、それ以上の感動は前述のラトルやインバルと比較することを躊躇する出来映えなのが残念。それ位、マーラー作品は複雑で神秘的なのだ。

ジェイムズ・レヴァインもマーラー指揮者として有名だが、これまで何故かこの「復活」はリリースされていなかった。今回、世界一弦セクションが上手いと言われるイスラエル・フィルとの1989年のテルアビブでのライヴ・レコーディングが発売になった。そのスケール感とダイナミズムはまさにレヴァインのマーラーだ。録音が最高でないのが残念であり、その点で前述のインバルを凌ぐことは出来なかった。                                                                       

マーラー自身が作品に付けた表題的解説からその終楽章の一部分を紹介したい。(出典:wikipedia)
復活せよ。復活せよ。汝許されるであろう。そして、神の栄光が現れる。不思議な柔和な光がわれわれの心の奥底に透徹してくる。……すべてが黙し、幸福である。そして、見よ。そこにはなんの裁判もなく、罪ある人も正しい人も、権力も卑屈もなく、罰も報いもない。……愛の万能の感情がわれわれを至福なものへと浄化する。”

日本人であるからこそ、今この心の叫びを大切にしたい・・・日本はひとりじゃない。一日も早く平安な日々が日本に訪れることを願っている。

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ワレリー・ゲルギエフ来日

マリインスキー歌劇場が芸術総監督であるワレリー・ゲルギエフと共に来日した。有難いことにお客様からご招待いただき日曜日にNHKホールでのプッチーニ「トゥーランドット」を鑑賞した。久し振りのオペラ。それも家内と二人で・・・ 

これはプロダクション&キャストとも同劇場の自信作と言っていだろう。舞台の奥の高い位置を左右に貫く橋(?)と傾斜をつけた舞台が遠近感を演出する。中央に置かれた円盤状の回転台が全幕を通じて効果的に活用されている。

タイトル・ロールのマリア・グレギーナは今や世界のトップクラスのトゥーランドット歌手。第一幕でカラフに3つの謎解きをするシーンでは少しグロテスク過ぎる感はあったが、その存在感は計り知れなかった。カラフ役のウラディミール・ガルージンの声量と艶には心底ウットリ。有名な「誰も寝てはならぬ」はちょっと気負い過ぎかな。見逃せないのが、リュー役のヒブラ・ゲルズマーク。彼女はグレギーナとの対比においてもか弱さを全身で表現し印象深かった。

一緒に行った家内は、マリインスキー・オケを称して木管セクションが今ひとつなんじゃないなんて勝手なこと言ってた。もちろん超一流のオケではないが、鍛えこまれたアンサンブル力は鬼才ゲルギエフのカリスマ性の下オケ・ピットで光っていた。

ゲルギエフの昨今の活躍振りは凄い、いや”モノ”凄い。ロンドン交響楽団とのマーラー・チクルスも完成に近づいている。最新リリースの交響曲第5番のライブCDでは大胆な抑揚の裏にある筋肉質のマーラーを堪能できる。右手が痙攣したのかと勘違いさせるような指揮振りもユニーク。間違いなく21世紀を代表するマエストロのひとりである。彼がブルックナーを振ったらどんなになるのだろうか、予想がつかない・・・

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